今年のゴールデンウイークの長崎旅行のハイライトの一つ、軍艦島(端島)上陸ツアー。当日はあいにく曇り空で、快晴の青空の下で写真に収められなかったのは残念やったけど、ほんま行けてよかった。
少しの不安も軍艦島コンシェルジュのプレミアムを利用したんやけど、船が不安な人はスタンダードよりは座席指定できて外にも出やすいプレミアムのほうがええで。でも、スーパープレミアムやなくても解放感あって十分快適。
出航までの時間、軍艦島デジタルミュージアムで軍艦島の歴史やジオラマ、当時の生活の映像や写真などに触れることができる。上陸後も、ガイドさんの詳しい説明を聞けるんやけど、ミュージアムで観た映像や展示が、目の前の今の軍艦島の景色とオーバーラップして、よりリアルに体験できた気がする。
最盛期にはここに5,000人ほどの人が暮らしてて(人口密度約80,000人/㎢やって)、9階建てでエレベーターがなかったとか。屋上に保育園や遊び場があったというから、軍艦島の子供たちは鍛えられてたんやろな。ミュージアムのガイドさんの一人が子供の頃ここに住んでたらしく、その頃の生活を語ってくれたのは興味深かった。
炭鉱はスカイツリーの高さとほぼ同距離の地下深くにあったそうで、気温約30~35℃・湿度90%という環境で1日8時間作業してたんやて。想像しただけでも息苦しくなるわ。汚れた鉱員のお風呂は海水で、湯上り時の掛かり湯だけは真水やったとか。とはいえ、お給料は高かったらしくて、不便な軍艦島の生活も、最盛期の頃は結構華やかだったよう。お偉いさま方々は、丘の上で島を見下ろせる、設備や部屋も他より便利で広い棟に住んでらっしゃってたって。
上陸したら炭鉱設備・施設や居住棟の残骸が見渡せる。島の2ヶ所で、ほとんどの場所には近づくことはできずに、時間も1時間もないくらいだったけども、写真撮りながら見れるだけでも感慨深い。いろいろ想像しながらカメラ構えてると、複雑な思いでいっぱいになったわ。
台風も多い環境にある軍艦島。
朽ちていくものを修復までして今後も残していくべきかどうか…
閉山した1974年から世界遺産に登録されたのが2015年。それからもうすぐ10年になる。正直、長崎県としては、観光資源として残しておきたいところやろう。でも、今は外観が残ってる場所も、次第に自然に朽ちていく。芸術品と同じように、修復しながら存続させていくことになるんやろけども、「朽ち方のリアルさ」を残して補修していくって、かなり難しいんやないやろか?
それならいっそ、一部だけそのまま残して、あとは日本のお城の天守閣のように、昔を体現できるように再現してしまってもいいかもしれない。そうなると「世界遺産」の称号は無くなるけども。
この頃の日本人のがむしゃらさを感じられるのは、まだ私が1970年代生まれでうちらの親世代がそやって生きている姿を見れたからかもしれない。平成・令和時代に生まれた人達には、もしかしてあまり実感できないものかもしれへんな。
軍艦島訪問の前に、当時を知る方々の写真や読み物に触れてみるのも、いいかも
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