人種分離教育を違憲とした1954年のブラウン判決で、黒人学生に平等の学校教育を受ける権利が保障されることになったんやけど…
オーザリン・ルーシー(Autherine Lucy)のアラバマ大学入学問題が起こった1年後の1957年、人種共学を採用したアーカンソー州リトルロックの高校に入学することになった9人の黒人学生も、すんなりと入学することはできなかった。

オーザリン・ルーシーについての概要は↓で

1957年、リトルロック・セントラル高校に最終的に入学することになったのは9人。

転入希望者が80人程いた中で選ばれた9人で、「リトル・ロック・ナイン(Little Rock Nine)」って呼ばれてるねんて
リトル・ロック・ナインの初登校日、アーカンソー州オーヴァル・フォーバス(Orval Faubus)知事は「9人の安全のために」と州兵を徴集して門を閉鎖するように命じて、9人は結局登校できなかった。翌日、連邦判事の指令で9人は登校したけど、暴徒化した白人学生や州兵に阻まれて入学することができず。
その約2週間後に、連邦判事が州兵の撤収を命じて9人は再度登校したけど、また群衆が学校内に押し寄せようとしたんで、数時間程度で帰宅を余儀なくされたらしい。その数日後、リトルロック市長の嘆願を受けて、アイゼンハワー大統領が陸軍を高校に派遣して、リトル・ロック・ナインの護衛につかせたことでようやく登校できるようになったという。
登校できたからといって、楽しい学生生活を送れた訳でもなく…白人生徒たちからのいじめや脅しなど、酷い仕打ちを受けながら通学しなければならなかった。

この9人のうち、そのままリトルロック・セントラル高校の最初の黒人卒業者になったんは1人だけ。退学者が1人、他は他校に転校して卒業したんやて。

詳細は↓いろんなウェブサイト見てみてや~
コメント