THOUGHT | つれづれ 南部黒人学生の闘争 vol.3(1950年代~1960年代) 大学の完全共学実施を目指して、大規模なワシントン行進が前回の事件のあと2度に渡って行われた。1958年10月と1959年4月。きっとこの行進は映画”Get on the Bus”の最後のほうのシーンにあったようなものだったんだろう。1回目はCIO, AFLといった労働団体やNAACP(全国黒人向上協会:1909年に白人の呼びかけでできあがった団体で、役員にはW.E.B. Duboisがいた)、各地... 2011.01.25 ALL ENTRIES | すべてTHOUGHT | つれづれ
THOUGHT | つれづれ 南部黒人学生の闘争 vol.1(1950年代) 1954年、アメリカ最高裁の判決で公立高校での分離教育の禁止が決まる。この判決は、黒人にとってまた一つ自由を勝ち取れた・・・かのようにみえたのだけれど、実際は各州の良識に任されることに。結局、差別意識の強い南部では、白人達のさらなる攻撃が・・・。 まずは56年にAlabama大学の入学が決まった、Autherine Lucy(写真の女性)に、攻撃が降りかかる。 彼女は入学前に、NAACP(1909... 2011.01.24 ALL ENTRIES | すべてTHOUGHT | つれづれ
THOUGHT | つれづれ Harriet Tubman ハリエット・タブマン (1820?~1913) Rah Diggaのalbumのtitle「Dirty Harriet」、そして1曲目の「Harriet Thugman」を見て、「を!」って思ったのは私だけじゃないはず。 南北戦争前のアメリカの歴史を勉強した人は知ってるんじゃないかな、Harriet Tubmanを。 時期はNat Turnerと同じくらいの1800年代のこと。 この頃は奴隷州(南部)と自由州(北部)がメイソン・ディクスン線とオ... 2011.01.22 ALL ENTRIES | すべてTHOUGHT | つれづれ
THOUGHT | つれづれ Nat Turner ナット・ターナー (19世紀頃) 1800年代前半って南北戦争前、映画「Gone With the Wind(風と共に去りぬ)」の情景。南部ではタバコ栽培は行き詰ってきたけれど、それに変わってイギリスでの産業革命の影響をうけて綿花の栽培が盛んになってきた。そうなると、広大なプランテーションでの労働力は黒人奴隷頼りになる。 ただ、これは南部での話。ミズーリ協定で自由州と奴隷州が完璧に緯度で分けられてたので、南部では「奴隷」である黒人... 2011.01.22 ALL ENTRIES | すべてTHOUGHT | つれづれ
THOUGHT | つれづれ アメリカ 奴隷制 の広がり(18世紀) アメリカは、最初はキューバで奴隷を購入(?)していたようだ。まぁ、どこからであれ、奴隷を購入して南部のプランターへ売るのは北部の貿易商。北部貿易商から南部プランターへの奴隷売買の図式はこのころから存在していた模様。そして、黒人奴隷の数は1710~20年代で6~8万人だったのが、1790年代にはその10倍くらいにふくれあがった。その90%程が南部に集中していたという。 ただ、このころ黒人奴隷を広めて... 2011.01.20 ALL ENTRIES | すべてTHOUGHT | つれづれ
THOUGHT | つれづれ プランテーション 黒人奴隷輸入のはじまり(17世紀頃) コロンブスの新大陸発見が1492年、アメリカ最初の黒人奴隷到着が1526年。それからイギリス、スペインは何度かアメリカに探検家を送って植民地にしようと挑戦していたけれど、それが本格的に開始されたのが17世紀の初め頃。ちょうど日本では徳川幕府の幕開けの頃。 それまで植民がうまくいってなかった理由のひとつは、植民の目的がその土地の特色と合ってなかったから。彼らは欲しい貴金属を求めて植民地を探していたけ... 2011.01.20 ALL ENTRIES | すべてTHOUGHT | つれづれ