黒人として生きるなかでの不条理と魂をぶつけ合うポエトリー・リーディング 映画「SLAM(邦題:スラム)」

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朗読やラップとはまた違うSlamというポエトリーリーディングと、黒人の現実を描いている1998年公開の映画「SLAM(邦題:スラム)」。

黒人の人口が約7割を占めるというワシントンDCを舞台に、ドキュメンタリータッチで描かれてる。

SLAM 邦題:スラム (1998年)

監督:Marc Levin
出演:Saul Williams, Sonya Sohn, Bonz Malone, Lowrence Wilson…

主人公がギャングのボスである友人と会っているときに、その友人が目の前で撃たれた。主人公はその友人が「彼女にステキな詩を送りたいから、作ってくれよ」と言われてその詩を聞かせに来ただけなのに、撃たれた現場に居合わせて、思わずポリスのサイレンに驚いて現場から逃走してしまった。そこで犯人として逮捕されてしまい、刑務所に入れられてしまう。

こういうことは日常少なくないと、雑誌の「The Souce」や日本のTV「ニュースステーション」の特集でも取り上げられることがあった。「黒人」「チカノ」というだけで、その場に居合わせたら犯罪者扱いをされる。法廷でも「無実」を勝ち取るよりも、「有罪」を認めたほうが罪は軽くてすむ…ていう事実。

「ニュースステーション」の特集では、17歳のチカノの少年が殺人現場に居合わせただけで終身刑になったという。少年は、ギャングのメンバーで、前科もあるしこれまで悪さしてきたのは事実だけれど、「その事件に関しては俺は何もしてない…」と言っていた。少年は「今までしてきたことの罰だと思ってる。日本のみんな、法を犯したり、他人に迷惑かけることはすべきじゃない。僕らみたいになるんだからね。」と言ってたのを、この映画をみて思い出した。

そしてこの映画では刑務所内の状況も描かれてる。刑務所はギャングの集合体みたいなところもある。「おまえはどっちにつくか」でいざこざがある、子供じみた世界でもあったりする。

この映画では、それを「子供じみた」と思わせるように、主人公はどっちにつくこともおかしく思って、みんなの前で「slam」する。様々なメタファーを使ったり、時にはストレートな言葉で自分の思いを表現する。結局のところ、みんなその主人公のように周りを気にせずに済む「自分」で居たいのだろう。主人公がパフォームする詩を聞いて、主人公をそっとしておくことにする。

この映画で演じてるSaulとSonyaは実際にSlamをパフォームする「poetry reader」だそうだ。Sonyaのセリフもどこか表現が「slam」していて、かなりの説得力とパワーが感じられる。

映画のストーリー上のSaulとSonyaの恋愛関係は急に進展しすぎで、あんまり意味がないけれど(別に友人関係で描いても十分やったような…)その2人のセリフのやりとりは今のブラック・カルチャーを表現してるだろうことが多くって、興味深い。Sonyaがフリー・マーケットで買ってケンカのときに見せていた、奴隷船の見取図は有名だよね。

この映画、ほんとかっこいい…のだけれど、私にはどうも引っ掛かるシーンが1つあった。Saulが刑務所に入る時に、一緒に車に乗っていたアジア人の描かれ方。あれはどう考えても必要な場面じゃない…のに長々とあのアジア人が描かれている。

あのシーンは、アジア人のステレオタイプを皮肉った表現なんだろうか?きっとこの映画の作者は何か言ってるんよ、あの場面を使って。何だろう? 一人だけスラックスを着て金持ちそうなアジア人。 車の中で文句ばっかりいってるけど、どう考えてもビビッているようにしか見えない。その場面をみて、ちょっと悲しくなった。

私としてはちょっとしこりの残った映画ですが、なかなか優れた映画ではないでしょうか。

NAOKO
NAOKO

ポエトリーと刑務所に関連して「Shackles(邦題:スピリット・ボクシング 塀の中の詩闘 2005年公開)」もどうぞ!

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