1971年、ニューヨーク州アッティカ刑務所で起こった囚人の暴動事件をベースにした実話モノ、1994年放映されたTV映画、「AGAINST THE WALL(邦題:ウォール オブ アッティカ)」。
新人看守 vs. 黒人囚人…囚人を人間扱いしない刑務所の体制に対して、囚人たちは暴動を起こし、TV中継までされる事態に。
監督:John Frankenheimer
出演:Kyle Maclachlan, Samuel L. Jackson, Clarence Williams, Frederic Forrest, Philip Bosco, Tom Bower
映画の冒頭に60年代~70年代の出来事が写される。マルコムX、マーティン・ルーサー・キング牧師、ニクソン大統領、ケネディ大統領、ベトナム戦争、ビートニク…きっとこの映像をみてみんな感じることは個々に色々あるように、人間個人の背景も様々なわけだ。それは人種という区別だけじゃなくって、社会的地位、職場、友人関係、家庭環境、すべてにおいて、みんな違いがある。でもその違いを分かり合いながら、共同生活を営まなきゃいけない場所ってのは結構多い。
この映画の舞台となる刑務所もその一つだろう。刑務所にはもちろん、犯罪者が集まっている。彼らを正すための場所であるから、規律は厳しくて当たり前。そういう場所だからこそ、「差別」があってはいけないはず。必要以上に囚人を懲らしめる必要もないし(その境目が難しいのは確かなことだけど)、人間として生活は保障されるべきではあるとは思う。彼らの環境が「悪事を働いた人間」に変化を与えうるだろうから。
サミュエル・L・ジャクソンが囚人達を先導する政治犯を演じてるんやけど、この映画も「187(1997年公開)」みたいに、救いのない映画である(「187」は救いなさ過ぎてレビューすらかいてへんなぁ…)。こういう風な映画にでるのが好きなのだろうか?
カイル・マクラクランの役柄は、典型的な”Freedom!”を叫ぶヴェトナム戦争前後の若者。ところどころでそれを示す鍵が描かれている。この若者の行動が「自由をはき違えてはいけない!」っていってるよう。
集団でいる時こそ「自由」とは何かを考えて行動すべきじゃないだろうか。個人・個性を多少押し殺して「団結」してこそ、「自由」を勝ち取る早道となることは多いんだから。
さて、社会に目を向けると、いくら自由なアメリカでも、思考がコントロールされているように感じることがある。例えば大統領の振るまい方。演説での指の差し方まで、どういうほうが一般にいい印象を与えることができるか、どのネクタイがこの場にふさわしくて、それが一般人にどういう影響を与えるか・・・を側近が決めてたりするらしいから。日本より政治家の汚いお金が暗黙の了解でまわってたりするし。ここで描かれる州知事はどうか?
でも中庭でいろんな人種の囚人が団結してるのを見ると、「そうだ!そうだ!」と拳をあげたくなるよね。
コメント