南部黒人学生の闘争 vol.4(1960年代)

南部黒人学生の闘争 vol.4(1960年代) THOUGHT | つれづれ
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また大きな事件が62年、Mississippiで起こった。それは1954年に最高裁での判決で勝ち取った、「公立高校での生徒の人種による隔離の禁止」は何だったんだ?って思わせる出来事。

54年の判決は黒人の地位向上を喜ばない南部白人の、黒人に対する嫌がらせや妨害を増やしてしまっていた。KKK団などの過激派は火薬やダイナマイトを黒人住居に投げたり、脅迫などの電話、意味のない暴行、経済的抑圧。

南部黒人学生の闘争 vol.4(1960年代)

そしてその大きな事件はMississippi大学に入学しようとしたJames Meredith(写真の真ん中)に降りかかった。最高裁の判決で勝利し、彼は入学許可を得たわけだが、Mississippi州知事が反対した。そこで当時のKennedy政府は迅速な対応で、大学総長、学部部長などを訴え、最高裁にかけた。州知事は自分の身も逮捕される恐れがあるから、一時は折れたんやって。Kennedy大統領は積極的にMeredithの入学のために州兵を集め、連邦軍を編成して配置したり、TVやradioで「法の下の平等」を訴えたりもしていた。

しかし、それと同時に大学内では大騒動!連邦軍の護衛のもとに大学構内に入ったMeredithに対して、約2500人の白人学生+市民はそれを阻もうと、発砲するまでの騒ぎとなってしまう。これは Walker少佐っていう極右翼団体の一人が計画・指揮をしたもので、白人暴徒達は自動車を壊したり放火したりの、暴動状態。白人は「Meredithの入学だけでなく、黒人の地位向上を少したりとも許さない!」と怒りを爆発させた。この暴動に対して、Kennedy大統領は自ら、配置されていた連邦軍の指揮をとり、 Walker少佐を逮捕に追いやり、暴徒は鎮圧されることになる。

こうやって南部黒人学生は、着々と自由を勝ち取ってきた。同じ時期の北部黒人学生は、より快適に学生生活を送れるようになってきて、中にはかなりの地位を得た人が出てきた。それなのに南部は「根っこ」がまだ引っ付いてて、白人の意識改革をするにはまだ時間が必要だった。日が沈むと白いずきんの KKK団が走り出す。家に火を投げ込まれるなんて思ったら、生活もままならない。

そんな状態が完全に消えることがなさそうに思えてか、「目には目を!」的考えが南部黒人の一部の間にも芽生えるようになってきた・・・そして”Malcolm X” でお馴染みのBlack Muslimのような団体が出現するようになる。

2004年頃 初回掲載

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