また大きな事件が1962年、ミシシッピー州で起こった。それは1954年に最高裁での判決で勝ち取った、「公立高校での生徒の人種による隔離の禁止」は何だったんだ?って思わせる出来事。
1954年の判決は黒人の地位向上を喜ばない南部白人の、黒人に対する嫌がらせや妨害を増やしてしまっていた。KKK団などの過激派は火薬やダイナマイトを黒人住居に投げたり、脅迫などの電話、意味のない暴行、経済的抑圧。
そしてその大きな事件は黒人で初めてミシシッピー大学に入学しようとしたジェームス・メレディス(James Meredith 写真の真ん中の人物)に降りかかった。最高裁の判決で勝利し、彼は入学許可を得たわけだが、ミシシッピー州知事が反対した。そこで当時のケネディ政府は迅速な対応で、大学総長、学部部長などを訴え、最高裁にかけた。州知事は自分の身も逮捕される恐れがあるから、一時は折れたんやって。ケネディ大統領は積極的にメレディスの入学のために州兵を集め、連邦軍を編成して配置したり、TVやラジオで「法の下の平等」を訴えたりもしていたそう。
James Meredith「A Mission from God: A Memoir and Challenge for America (English Edition)」
しかし、それと同時に大学内では大騒動!
連邦軍の護衛のもとに大学構内に入ったメレディスに対して、約2500人の白人学生+市民はそれを阻もうと、発砲するまでの騒ぎとなってしまう。これはウォーカー少佐っていう極右翼団体の一人が計画・指揮をしたもので、白人暴徒達は自動車を壊したり放火したりの、暴動状態。白人は「メレディスの入学だけでなく、黒人の地位向上を少したりとも許さない!」と怒りを爆発させた。この暴動に対して、ケネディ大統領は自ら、配置されていた連邦軍の指揮をとり、ウォーカー少佐を逮捕に追いやり、暴徒は鎮圧されることになる。
こうやって南部黒人学生は、着々と自由を勝ち取ってきた。同じ時期の北部黒人学生は、より快適に学生生活を送れるようになってきて、中にはかなりの地位を得た人が出てきた。それなのに南部は「根っこ」がまだ引っ付いてて、白人の意識改革をするにはまだ時間が必要だった。日が沈むと白いずきんの KKK団が走り出す。家に火を投げ込まれるなんて思ったら、生活もままならない。
そんな状態が完全に消えることがなさそうに思えてか、「目には目を!」的考えが南部黒人の一部の間にも芽生えるようになってきて…Malcolm Xでお馴染みのブラック・ムスリム(Black Muslim)のような団体が出現するようになる。
2004年頃 初回掲載
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