お風呂に使っていたら、ふと昔に聞いてた曲を思いだして口ずさんでいることが多い私。幼稚園~小学生の頃くらいに見てたアニメソングが多かったりするけど。「じゃりン子チエ」の終わりの歌とかをソウルバージョンで歌ったり。
今日は私が高校2年の頃だったか、1988年にリリースされたThe Banglesの3枚目のアルバム「Everything」に入っている「Glitter Years」のバースだった。
The Bangles / Glitter Years
Writers: Michael Steele, David White
日本語意訳: NAOKO
I don’t really know how we survived the glitter years.
What did we do it all for?
Do you remember the glitter years?ギラギラしてたあの頃、どうやって生き抜いてたっけ。
何のためにやってたんだろうね。
あの頃のこと、覚えてる?
就職したすぐくらいかな、携帯電話が流通しだしたのは。私が初めて自分で買ったPCはiMacのタンジェリンで、世紀末の1999年。繋いだらピーヒャラヒャラ♪となるアナログ回線でインターネットの世界に飛び込んだ。今は誰もがスマホ片手に、思い立ったらコミュニケーションできる時代なんだもんね。
アナログが当たり前だったあの頃。分厚い和英・英和辞書と教科書をリュックに入れて通ってた大学時代(肩ひもが切れるくらいの重さ!)。
「あんなことあの時にどうやってやってたんだろう?」なんて思い出すことが多いのよ。若いからできたのか、「私、無敵かも」なんて思いながら肩ひじ張った人間だからできたのか…。パスポートもって家飛び出して新幹線にのって東京へ向かった…けど、相手は携帯持ってなかったぞ?どうやって連絡とって、東京で落ち合えたんだ?
高校に入って部活もあるのに、近所の喫茶店の「アルバイト募集」の張り紙見て、「土日にバイトするわ」と突然決めた日。親からお小遣いもらうのがイヤだった。平日の部活ない日は「ジャスコ(現在のイオン)」の日用品売り場でも。バイト代は、学食代と残りにほとんどはCDレンタル&カセットテープに。
高校生1年の文化祭、クラスは確かディスコをオープンしたんだけど、ミラーボールどこから手に入れてたんだろう?確か曲は私が全部持って行ったよな。あの頃は「I should be so Lucky」なユーロビート全盛期。教室いっぱいに知らない3年生も来たりして、盛り上がってた。
高校2年の時はカラオケ店したっけ。みんなが曲選べるように、教室の全面いっぱいの紙に油性ペン(マッキー)で、1曲ずつタイトル書いたよなぁ。100曲くらいは書いてたんじゃない?
25~6歳の頃、突然マイアミでその頃の相方と落ち合うことになり、出発の2週間前くらいだったかな?航空券押さえてもらったはいいけど(インターネットなんてないからね)、家に帰ってパスポートみたら期限切れてて…。キャンセル代に6万円程払ったんだっけ。
でも、その頃に色々失敗や後悔することも含めて、手探りで思い切ったことしてきたから、今があると思う。
写真はWSUへ留学中 in 1994。太陽と緑が気持ちいい図書館前の芝生の上で、帰国前の期末試験の勉強中の私。誰かが隠し撮りしてて、私にくれたんだけど。誰からもらったんだったっけ。
You better hang on to yourself.
The Bangles / EVERYTHING (1988)
さて、セカンドシングルの「Eternal Frame」が流行った、このThe Banglesのアルバム「Everything」はポップス・ロックど真ん中。Suzanna Hoffsのハスキーだけれどどこか甘く切ない歌声、VickiとDebbiのPeterson姉妹のパワフルだけど華やかさのある歌声、「Glitter Years」でリードをとってるMichael Steeleの4人で、リードボーカルが曲ごとで変わるから、表情豊か。
- In Your Room
- Complicated Girl
- Bell Jar
- Something To Believe In
- Eternal Flame
- Be With You
- Glitter Years
- I’ll Set You Free
- Watching the Sky
- Some Dreams Come True
- Make a Play For Her Now
- Waiting For You
- Crash and Burn
Debbiが「Be With You」をドラム叩きながら歌ってるの、かっこよかったなぁ。この頃は日本でもガールズ・バンドが流行ってたんだよね。
学生の頃はバンド組みたい!と思っていたけど、結局、機会がなく。それから社会人になって、友人の結婚式でMariah Careyの「Hero」を歌ったのが縁で、バンドのヴォーカルをすることになったという。何度か、ワインバーでライブしたのよね。バンドのメンバーがすごく上手くて、私を歌に導いてくれてた。即興で、ギターとヴォーカルだけで、じゃりン子チエのジャズ・バージョンやったりしたよな…「うぅ~ちのかぁ~ばんにお~ひさんひっとっつぅ~」いうて。
思い出は尽きない。思い出せる時に、思い出して味わっておこう。
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