誰しも人生フェアじゃないと思うことはある… 今はYeなのか?カニエ・ウエストの曲「Street Lights」を聴きながら

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今日は、Kanye West(…か、Yeなんか、どちらなのか?)が2008年にリリースした4枚目のアルバム、「808s & Heartbreak」。

カニエはこのアルバムで、ラップするのではなく淡々と歌っています。その歌声は哀愁漂うメロディと重なって、心に刺さるのよね。

808s & Heartbreak

彼は、このアルバムがリリースされる前年の2007年11月に最愛の母親を亡くし、翌月に5年程付き合ってきたフィアンセと別れたんだという。「自分の心が頼れる人」を失うと、孤独や空虚感に打ちのめされる。商業的に成功していているからこそ、猜疑心も強くなるし、心の拠り所を無くしてしまうかもしれない。そんな中、カニエは3週間ほどで完成させたそうな。アルバム制作に没頭することで、正気でいられたのかもね。

全体的に切ないメロディとカニエの嘆きなようなこのアルバム。特に「Street Lights」という曲が沁みる。私には、彼の声も歌詞もこのメロディも、絶望感を歌っているようには聞こえないんだよね。「人生フェアじゃないよな」と思うと同時に「Kanyeでもそう思うんだから、人生ってそんなもんだろう」という感情も沸く。

Street Lights

Songwriters: Benjamin Hudson McIldowie, Kanye Omari West, Jenny-Bea Englishman, Antony Von Williams
日本語意訳;NAOKO

Let me know
Do I still got time to grow
Things ain’t always set in stone
That be known let me know
Let me

教えて
まだ成長できるかな
何事も必ずしも決まりきったものではないって
わかってるんだけど 教えてよ
ねぇ

Seems like, street lights glowing happen to be
Just like moments passing in front of me
So I hopped in the cab and I paid my fare
See, I know my destination
But I’m just not there

まるで赤々と照る街灯のよう
目の前を通り過ぎるひとときみたい
そして僕はタクシーに飛び乗って料金も支払った
だから目的地はわかってるんだ
ただ僕はそこにはいない

All the street lights glowing happen to be
Just like moments passing in front of me
So I hopped in the cab and I paid my fare
See, I know my destination
But I’m just not there

赤々と照る街灯は次々とそこに
目の前を通り過ぎるひとときのように
そして僕はタクシーに飛び乗って料金を支払って
ほら目的地はわかってるんだ
ただ僕はそこにはいない

In the streets
In the streets
I’m just not there in the streets
I’m just not there
Life is just not fair

街の中で
街の中で
ただ僕はそこにはいない
僕はそこにはいない
人生ってフェアじゃないよな

カニエの人生は華やかでドラマティックだろうから、彼のこの曲にかけている思いとは、私のものとは全く異なるものだろう。それでもカニエのこの曲のように、車の窓に見えては過ぎ去ってまた現れる街灯に、自分の人生を重ねる人って意外と多いのかな…とも思う。

この曲聴いている時に、思い出すシーンがある。

私が25歳くらいの頃のこと。仕事帰りのタクシーの中から、暗闇の中に光ってた街灯がだんだん白けていく夜明けの空と混じっていくのを見ていると、何故だかいつも安堵感で包まれていく自分がいた。あぁ、やっと寝られるね~、やっと今日が終わったね~みたいな。朝からデカビタC、ブラックコーヒーとタバコが必需品だった日々(もうタバコは15年程前に止めてますが)。

ただ、目に浮かぶシーンは自分のものなんだけれど、今の状況もあるからかして、70歳そこそこで認知症になったママの人生と重ねて聴こえることもある。

ママは認知症

私のママは、70歳になる頃から認知症の兆候が見え始めた。その症状からハッとさせられたり、後になってわかることがある。介護は身内で抱え込んではダメ。できる限り、利用できるサービスに頼ってほしい。本人のためでもあると思う。身内だから見られたくないこともあると思うのよね。

My mom has started struggling with her dementia symptom since 70 years old or so. Her behavior sometimes makes us astonished or shocked. Sometimes, I happen to understand later the reason why she acted like that. You should not take it all on yourself – seek for help from anybody or professional services around you. Your mom or dad would wish not to be a burden on you. They would hesitate to be watched by dearest one since they cannot control themselves.

ここ2年、コロナの影響でほとんどママには会えていない。どうしてるかな~と思うと同時に、これまでのママのことをふと思い返したりすることも多いから。

彼女がもし、自分の現状に対して何か感情を持っているのだとすれば、どう思っているんだろう?「人生ってフェアじゃない」って思うのかな?

以前も書いたかもしれないけど、私も弟も、昔からどことなくママが認知症になるんじゃないかと思ってたところがあった。自我があるようで無いというか、なんかどこかうわの空な時がたびたびあって。ママはよく話すほうなんだけれど、自分の過去のことはあまり話さないし・・・どこの学校通ってたとか、最終学歴知らないもん。彼女から聞いたことないけど、私が大学生の頃だったか、何故か私のベッドでマットと何かの間に、どこかの裁縫学校だかの修了証のようなものが挟まってたのを見つけたっけ。

特に父が退職してから、酔っ払った父の相手をするのがしんどかっただろうと思う。酔っ払いって本当、どうにもならないからね。普段良い人だと余計にしんどい。

父は自分の事あっけらかんに話すほうだった。よく「ピンコロ」で逝きたいわ~言ってて、現にそうなっちゃったけど。でもママの認知症が酷くなってからは、「もう死にたいわ」言ってて。沢山旅行したかったんだもんね、ママと。

ママは、どうなんだろう。
そういえば、ママがショートステイに通いだしてから2~3年程かな、私は毎週くらい実家に通っていて、帰りは父の車で送ってもらってたの。ママも一緒に車に乗って、二人の気晴らしも兼ねて。その時に窓の外見ながら「わ~、あの壁塗り替えてはるわ~きれいね~、こっちも塗り替えたね~きれいね~」って明るい色の壁を見つけては、楽しそうに言ってたなぁ。その状態がちょうど父が亡くなる前の1年くらい・・・だから、もう3年前か。街灯みたいに過ぎていく壁のように、明るい色を見つけて楽しむ感情って、今はもうないのかな。

自己中心的に人の悪口楽しめるくらいに生きてたほうが、心に健康的なのかもね。人の迷惑を顧みず、道のど真ん中で話し込んでるおばちゃん同士のようにママも生きてこれていたら・・って、よく思うよ。

なんか話それちゃったな💦

人生ってそんなもんなんだから、みんな我儘に生きたらいいと思うんだよね。まぁ、私は道で井戸端会議するおばちゃんにはなりたくないけど。

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