女性ラッパー、ラー・ディガの曲のにも出てくる、南部奴隷の北部への逃亡を助けた「地下鉄組織」を生んだハリエット・タブマン (Harriet Tubman; 1820?~1913)

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バスタ・ライムス(Basta Rhymes)率いるフリップモード・スクワッド(Flipmode Squad)の一員である女性ラッパー、ラー・ディガ(Rah Digga)のアルバムのタイトル「Dirty Harriet」、そして1曲目の「Harriet Thugman」を見て、「を!」って思ったのは私だけじゃないはず。

南北戦争前のアメリカの歴史を勉強した人は知ってるんじゃないかな、ハリエット・タブマン(Harriet Tubman)を。

時期はナット・ターナー(Nat Turner)と同じくらいの1800年代のこと。

この頃は奴隷州(南部)と自由州(北部)がメイソン・ディクスン線とオハイオ川で区切られていた。川を越えて自由州にさえ入れば、南部奴隷も自由の身。なので、南部から北部へ逃亡しようとする南部奴隷も増えていた。

ただ、北部に入ったからといって安心できない。見つかったら、連れ戻されるか、刑務所に入れられて所有者が見つからなければ競売にかけられる。そこで、どうやったら南部奴隷が安全に自由州へ逃亡できるかと、北部黒人は考えた。そこで生まれたのが「地下鉄組織(地下鉄道)」。

「地下鉄組織」は逃亡の手助けのためのボートを南部へ運んだり、かくまってあげたり、衣服・食料を提供してあげたり…。もちろんそれが見つかれば、彼ら自身も刑務所行き。

その組織の中で特に有名だったのが、自身もメリーランド州からの逃亡奴隷だった、ハリエット・タブマン。彼女は南部に潜入し、南部奴隷たちの「車掌」となって北部に運びこんだ。南部の奴隷所有者が彼女に懸賞金をかけるほど、見事に「地下鉄組織」を動かしたそう。まるで宣教師のように、南部奴隷たちに逃亡の勇気を与えたことも知られてる。そのことから、彼女は「黒いモーゼ」とも呼ばれている。

「モーゼ」は旧約聖書の中で、エジプトで奴隷として扱われていたヘブライ人たちのエジプト脱出(出エジプト)を率いた人物なんやて

「運び屋」も見つかったら刑務所の独房(今の独房とは比べられないくらいの狭さだったらしい)に入れられて、鞭でたたかれ、鎖につながれたまま重労働…という過酷な罰が待っていた。カルヴァン・フェアバンク(Calvin Fairbank)って自由人はハリエットよりも多くの奴隷逃亡を成功させたけど、結局見つかって捕えられ、これを味わったらしい。

彼女は他にも、当時少しずつ実行されていたという「自由黒人のアフリカへの送還」に反対したりして、奴隷解放のために尽くした。その後は、イギリスのビクトリア女王に賞賛されたり、南北戦争中は看護婦長として活躍したんだって。93歳という、当時じゃかなりの長寿で亡くなったらしいんだけど、彼女の夫は白人に射殺されたりと、奴隷解放に貢献したわりには、静かな晩年を過ごしたそう。

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