1800年代前半って南北戦争前、映画「Gone With the Wind(邦題:風と共に去りぬ)」の情景。南部ではタバコ栽培は行き詰ってきたけれど、それに変わってイギリスでの産業革命の影響をうけて綿花の栽培が盛んになってきた。そうなると、広大なプランテーションでの労働力は黒人奴隷頼りになる。
ただ、これは南部での話。1820年のミズーリ協定で自由州と奴隷州が完璧に緯度で分けられていて、南部では「奴隷」である黒人も、北部へ入れば「自由」という時代になった。そうして「自由」を求め、「北部へ逃亡しよう」という奴隷は増えていく。
ハイチでは、1790年代に奴隷黒人として生まれたトゥーサン・ルーヴェルチュール(Toussaint Louverture)率いる独立運動が起こる。トゥーサンは一家共々ナポレオンに捕まってフランスに送られて肺炎で他界してしまうけど、そのすぐ後の1804年にハイチはフランスから独立したんよね。この出来事も、アメリカ南部の黒人奴隷達が白人に対して反抗心を持つようになっていた一因かもしれない。
ナット・ターナー(Nathaniel “Nat” Turner)って人は、南部バージニアの奴隷だった。宗教心が強く、「俺は奴隷解放のために産まれてきたんだ!」と自分で思っていたらしい。当時の奴隷の生活ってのは、ハリエット・ビーチャー・ストウ著の「アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin)」にも描かれているように、休む間もなく働かされ、自由もない。寝るのはベッドじゃなくって、草の上。そんな生活からの解放を望んで、誰もが自由州への逃亡を夢見るのだ。
彼自身も一度は逃亡に成功したそうだけど、正義感が強く、自分だけ自由になるのはどうか?と、再び家主のもとに舞い戻ったという。そして、ある日彼に天からのお告げが…「束縛を解き放ち、悪魔に対して勇敢に戦え!」と。
これが彼を導いて、暴動へと発展。奴隷をもつ白人家庭だけを襲撃した。軍隊がこの反乱を鎮めたようだけれど、白人も女・子供 含め60人くらいの死者がでて、軍隊はこの反乱を沈めるために120人もの黒人奴隷を殺したらしい。
そして、ナットは絞首刑に。

数ある奴隷暴動の中で、この事件が最大の出来事らしいで
このころの暴動って考えるより力ずく。今、その頃の暴動の内容を見ると、たいした暴動じゃないと感じるかもしれない。けれど、奴隷って家主に絶対服従があたりまえの時代。少しでも家主の意志にそむいたら鞭がとび、 血を流し…だったから、 暴動を起こすって決死の覚悟がいったことだろう。 しかも成功する確率も、低かった。お金なんて持ってないだろうし、広い綿畑、トウモロコシ畑をただひたすら走って逃げる。川も越えなきゃならない。
ナットは暴力的な反抗にでたのだけれど、彼とは違い、力ずくではなくちょっと頭を使って自由を求めていったのが、フレデリック・ダグラス(Frederick Douglass)とハリエット・タブマン(Harriet Tubman)である。

フレデリック・ダグラスといえば、「Without struggle, there is no progress.」やんな

フレデリック・ダグラスのことはまだ書いてへんのんか?

また、いつか…な
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