小学生の頃の出来事 : あれはいわゆる「人さらい」だったのか

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年々、直近の記憶能力が低くなってきているのを感じる。

でも、面白いことに幼い頃の一部の記憶がふとしたきっかけで割と鮮明に蘇ってくることがあることに気づく。これまで思い返すことがなかった記憶が。

写真は確か、小学生2~3年の頃の私。父親の実家に帰省した時に寄った天橋立の付近の海岸だったと思う。背後に見える小さいのが私の弟で、座ってるのはいとこのお兄ちゃん。

幼少期の私

先日、ニュースを見ている時だったか、ふとある記憶が蘇ってきて「あれはもしや?」と感じたことを書いておく。

確か小学3~4年生だったか、おそらく1980年頃の出来事。
たぶん土曜日。私が小学生の頃は、土曜日は休日ではなかったんだよね。午前中まで授業があって、昼ご飯(主に「ワンタンメン」「出前一丁」などのインスタントラーメン)は新喜劇とかお笑いスター誕生!!、ルパン三世とか見てたっけ。

天気のいい日で、確か半袖を着てたと思う。昼頃に友達二人で下校中に、私達の横をセダン車が通り過ぎていった・・・と思ったら、しばらくして止まった。私と友達は遊びながら、のらりくらりと歩いていた。私が友達と離れたところに、先程止まった車から白いカッターシャツとスラックス履いていてスラリとした男性が下りてきて、私に近づいて何か話しかけてきた。

何を話したのかは覚えていないけれど、手を繋がれたことは覚えてる。特に無理矢理ではなく、自然だった。

一旦手を繋いだけれど、違和感を感じた気の強い私は、何気なく手を振り払ってまた友達のところに歩み寄って、その男性から離れていった。自転車で通り過ぎるおばちゃんが増えてきたからか、男性はその後に私に近寄ってくることは無かった。

今思えば、あれは人さらいだったかもしれない。
現在もなおあるかもしれないのだけれど、北朝鮮による日本人拉致は1970~1980年代に集中しているという。とはいえ、狙われる対象じゃないと思うのだけれど。

日本政府 拉致問題対策本部ウェブサイト >> 北朝鮮による拉致問題とは

私には子供がいないから、今の小学生がどんな登下校をしているかあまり知らないけれど、弟家族や友人、クライアントと話していると、大阪府下の公立小学校では親が送り迎えしているのは少数なような気がする。昔は登校時は集団登校、下校時はバラバラで、たまに集団下校の日があるくらい。

海外では、「子供を自由に育てる」とは言いつつも、親やスクールバスでの送迎が割と当たり前だよね。いくら共働きであっても、送迎しなきゃいけないことも多いとか。

日本も、いくら短距離であれ、送迎にしたほうがいいかもしれない。親の送迎が無理ならスクールバスで。運転手という職の雇用も広がるし。

ただ、「スタンド・バイ・ミー」じゃないけど、子供達だけで下校というのもアドベンチャーだったりするのよね。木登りしたり、いきなりランドセルでラグビーみたいなものが始まったり。路上ゲームもあったよね。自分達で新ルール決めたり。

学年、男女関係なく、その日にそこにいる子で遊んでた。両親共働き、鍵っ子当たり前だったもんね。家に帰っても子供達だけという家庭ばかりで。私がそういった地区で育っただけなのかもしれないけれど。ダーシップとか、弱い子や年少の子を助け合う感覚とか、コケてもある程度の叩き合いした喧嘩してもくじけない強い心とか、許し合える何かや自分達でルール作る自律性や創造性、それに協力できる協調性が生まれたりもしたのかな?とも思う。

でも今じゃ、子供達だけの登下校は危険が多いと思う。昔みたいに子供が沢山いる時代でもないから、日本もそろそろ市区町村を中心として仕組みを変えた方がいいんじゃないだろうか。

小学生の頃って、他にも今思えば危なかったという経験をしたことがあるのだけれど、それはまた今度。

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