イギリスによる北アメリカの植民地化と、黒人奴隷とプランテーションのはじまり(16~17世紀頃)

プランテーションと黒人奴隷輸入のはじまり THOUGHT | つれづれ
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イギリスとスペインが何度か探検家を送って、北アメリカを植民地にしようと挑戦していたけれど、それが本格的に開始されたのが17世紀の初め頃。

NAOKO
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日本の17世紀初めっていうたら、ちょうど徳川幕府の幕開けの頃やな

北アメリカ大陸に初めて「黒人奴隷」がくるまでを簡単に説明したお話は↓で

「プランテーション農業」は、ヨーロッパ諸国が自国での消費のために農作物に適した地域を開拓し、植民地にして農園を開き、原住民を低賃金で働かせて収穫した農作物を自国に輸出させる…という仕組み。

16世紀には既にスペインが南アメリカ大陸やカリブ海の西インド諸国をいち早く植民化して綿花のプランテーションを開始、ポルトガルがブラジルでサトウキビのプランテーションを始めていた。

南アメリカ大陸やカリブ海諸国でのプランテーションには、当初は原住民インディオが労働力として使用されていたけど、もともと狩猟民族のインディオは性質的に農業に向いてなくて効率が悪く、また天然痘などが流行してすぐに数が減っていってしまい、すぐにアフリカから黒人奴隷が送られていたという。

2Pac
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南アメリカ大陸やらカリブ海諸国のほうが、北アメリカより早くに黒人奴隷が送られてたんやな

プランテーションと黒人奴隷輸入のはじまり

さて、北アメリカでは…

17世紀初めに農地開拓や宗教迫害から逃れて移住してくるイギリス人が増えてくる。1607年に植民地としてヴァージニアを建設、1620年にはイギリス国王の迫害を受けたピューリタン(清教徒)達がメイフラワー号に乗って現在のマサチューセッツ州プリマスに到着した。

その後、東海岸で誕生したマサチューセッツなどのイギリス植民地13州がイギリスから独立、1776年にアメリカ合衆国が誕生した…けどもその話は端折るとして。

イギリスがヴァージニアに入植した当初は、原住民インディアンから教わったトウモロコシの栽培が試されてたけどそこまで利益が見込めるものでなく、加えてインディアンと衝突し戦争までに発展してしまうことになる。

その頃のイギリス本国では、スペインから輸入していたタバコが嗜好品として広まっていた。「それならタバコを輸入でなく自国で生産して利益を得よう!」ということで、植民地でタバコを栽培するようになった。北アメリカでのプランテーションのはじまりだ。

当初の労働力は、イギリス本国から「年季奉公人制度」で労働力として送られてくる債務者・債務者たちだった。

そんな折、1619年に初めて北アメリカ大陸に黒人奴隷を乗せたオランダ船が到着して、オランダ商人がヴァージニアのプランターに到着した黒人奴隷を売り渡した。そしてこの船をきっかけにアフリカから北アメリカ大陸に黒人奴隷が送られるようになり、17世紀後半からしだいに黒人奴隷人口が増加していくことになる。

黒人奴隷も年季奉公人制度で送られてくるイギリス人たちと同等な扱いみたいやったけど、期間限定の白人年季奉公人より、期間の定めのない黒人奴隷のほうがプランターとしては望ましいこともあって、黒人奴隷人口が増加していく。

2Pac
2Pac

1641年にはマサチューセッツで奴隷制度が合法化されて、1705年にはヴァージニアで「Virginia Slave Codes(ヴァージニア奴隷法)」で奴隷の条件や人種の区別などを規定した法律がつくられてたんやってな

北アメリカはまだイギリス領やった頃やな

それから18世紀にかけて、ヨーロッパ諸国はアフリカで奴隷を買付け、タバコ、砂糖、綿花、コーヒーなどのプランテーションの労働力として南北アメリカ大陸やカリブ海諸国へ送って本国に収穫した農作物を輸出するという三角貿易が盛んになった。

北アメリカ南部で綿花のプランテーションが盛んになってきたんは、18世紀中頃に紡績機が次々と改良されて、綿工業が発達してきたからやんな

そして、北アメリカでは綿花のプランテーションが盛んになり、奴隷制度が本格化していく。

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