認知症疑いから早10年超 – 笑うママを見ると「生きる」感覚って不思議に思う…でも、もう言葉が聞けることはないんだろうか

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特養に入ってるママに会うにはまだ面会予約が必要で、予約できる日はケアマネさんが出勤してる日やないとダメ。

面会できるようになってからは定期的に毎月ママの顔を見に行くようにしてるんやけども、年末はケアマネさんの出勤日が合わなくて行けずになってもうた。年末年始近くには会いたかったんやけど。

ママは認知症

私のママは、70歳になる頃から認知症の兆候が見え始めた。その症状からハッとさせられたり、後になってわかることがある。介護は身内で抱え込んではダメ。できる限り、利用できるサービスに頼ってほしい。本人のためでもあると思う。身内だから見られたくないこともあると思うのよね。

My mom has started struggling with her dementia symptom since 70 years old or so. Her behavior sometimes makes us astonished or shocked. Sometimes, I happen to understand later the reason why she acted like that. You should not take it all on yourself – seek for help from anybody or professional services around you. Your mom or dad would wish not to be a burden on you. They would hesitate to be watched by dearest one since they cannot control themselves.

ようやく昨日、2か月ぶりにママに会えた。タイミングがよかったのか、割と長い時間、ハッキリ目を開けてた。こっちを見ていると感じることでなんか私自身が救われた気持ちになれる。しかも、今日は笑った!去年の初夏以来かな?目を開けてることが去年の夏くらいからは多くなってたんやけど、やっぱり笑顔を見ると救われるんよね。

面会した時はいつも写真を撮るようにしてるねんけど、面会に定期的にいけるようになってから、笑顔とはいかなくてもママの表情が少し豊かになってきた気がする。コロナ禍では、施設でも人の出入りも少なくて、制限されていたことも多かったんだろう。スタッフさんもきっとピリピリしてただろうし。

言葉とわかる声を発することはもう無いに等しいんやろから(面会時になにかごにょごにょ言うことはたま~にあるけど)、ママが何を思ってるのかどう感じてるのかは知ることはできない。でも、人の表情が見えるようになったり、聞こえてくるものがあると、何かしら感覚が冴えてくるというか蘇ってくるというか、人間にはそういう力があるんだろう。

コロナ禍では触れられることも限られていただろうしね。今は、面会時にマスクとって笑顔や変顔を見せてあげられたり、固まった筋肉を少しばかりほぐしてあげたりってこともできるから。

前もどこかで書いたかもしれんけど、ふとした時に「ママの人生って幸せやったんやろか」と色々考えることもある。よく「母親って子供のことを何でも知ってる」みたいな表現って出てくるけど、うちはそうじゃない。私に対して「なんであんたはそんな子なんや?」って感じることのほうが多かったやろうと思う(実際に言われることも多かった)。だからといって頻繫に喧嘩するわけでもなく、まぁたまに言い合いしながらお互い違うことも当たり前に受け止めていて、それが母親と子の形だった。それがありがたかったとよく感じるようになったのは、最近のこと。それなのに、私の気持ちをもう伝えられないというか、伝えてもママの反応がわからんってのは歯がゆいものですね。

なんかつらつら書いたけれど、とにかく、今できることを精一杯にするしかないんよね。

ママの笑顔が次見られるんは、いつやろな。

NAOKO
NAOKO

父が亡くなった2019年春。特養から大和側河川敷へ喋りながらお散歩…これが、最後の二人のお出かけになるんやろな…

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